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よろしくお願いします。

http://ameblo.jp/linda003

佐藤りんだ

 

IMG_0688
絶対に買えない、ティファニーのジャッキーブレス。

完成!Tシャツ@5454

私の心の友、アンディ・ウォーホルが死んだのは1987年2月22日。まだ出会ってはいないが我が友・鈴木純子9歳の誕生日。そして我が息子・春陽漁介誕生のちょうど100日前である。ウォーホルがなぜ心の友かといえば、先の「アンディ・ウォーホル展」@森美術館で見たタイムカプセルに端を発する。並べられたアマレッティの包み紙やアルトイズの小さな缶は、我らエフィメラ(包み紙や紙袋を愛してやまない者たち)の証。彼がエフェメラなのはもちろん知ってはいたもののここまで自分を見いだせるとは思わず、捨ててしまった紙や缶への嘆きは「アンディがやってたならいいや」という安堵へと変わった。

さて、そんな縁(えにし)のアンディであるが、100日間で生まれ変わることなどないだろうから息子はもちろん彼ではない。むしろ息子の画は・・・いや、やめておこう。あれはあれでアートとも言え・・・まぁいい。とにかく大事なのはそしてそのさらに10年後、私がデザイナーの伊藤に出会ったということだ。

伊藤とは誰か?それは、ウォーホル作品?かの、この写真のTシャツをデザインした弊社バンパーのアートディレクター(男)である。

ご存知の通り、ウォーホルの作品はウォーホルひとりではなく、彼のスタジオが生み出していた。それは、優秀なグラフィックデザイン=アートであることを私たちに教えてくれた。横尾忠則さんもそうだが、その昔、グラフィックデザイナーは画が描けて当然であったのだ。アンディの創作スタイルはスピリットを残した。ゆえにアンディのいない今も、そのスピリットがこんな風に作品を生んでしまう(オマージュとは良い言葉だ)。伊藤は70〜80年代現代アートのスピリットを持って生きていることは、過去作品においても顕著だ。そして今回のこの作品は、そんな彼の才能を語るに余りある。

このTの価格は2100円。確か社長は2500円にしろ、と言ったと思うが・・・。彼らはみんなお金がないから「Tシャツが2000円以上って高いよね?でも神の手さん(伊藤のこと)の作品だから2000円・・・いんや!2100円!」ってことになったんでしょうよ(かわいいこと♡)。

限定たったの50枚。劇場のみで販売。3日目以降の在庫は・・・どうなんでしょう?もちろん、今後も色を変えて出していくでしょうけども、初回をゲットしないとコレクションは始まらないから・・・ね!



劇団5454(ランドリー)第4回公演
「カタロゴス〜数についての短編集〜」
7/3〜7/13
中野 劇場MOMO
ただいまご予約受付中。

死から100日後のウォーホル(現在27歳)が書いた、数について5話の短編です。
笑ったり緊張したりの充実の2時間。初日のお席はもうわずからしい。。ご連絡お待ちしております。

余談ですが、古木の誕生日は1月10日、伊藤は10月11日で、彼らは自分たちを「イチゼロ会」と呼んでいます。

xoxo,Linda

「どうして裕美ちゃんっていうの⁈私だけでいいって言ったじゃない?行かないよね?!行かないよね⁈」マザーより。

ゲネで号泣してしまった。叫ぶアカリは私が「怖い夢」と呼んでいる、夢の中の私とそっくりだったので。

(戻ってこない幸せを心のどこかで諦めきれていないってことなのかなぁ・・・)

夢を見るたび、空しくなる。毎日たくさんの人に支えられておきながら。

(ほんとはきっとあんな風に叫んで、胸ぐらをつかんで怒鳴って・・・想いが届くまで叩き合っても、元夫と人生を共にしたかった私がくすぶっているのだろう。かっこうの悪い人生だよなぁ・・・)

と思う。

が!!

 

 

 

「マザー」でちょっと救われた。

夢の中で生きるもうひとりの私=チクマリ演じるアカリは、しょーもなく我儘だけど、可愛かったし、
「ナオさん、頑張ってたよ?」のセリフで優しさが流れたから。

チクマリだから出来た役だね(ありがとう)。

黒字になることがあるのかわからないけど、毎回DVDを作っていてよかったと思う。チクマリ休団は淋しいけど、アカリはちゃんと残るものね。

チクマリ。
一旦、お疲れさま。
芝居、うまくなったね。
大きな笑顔、すごくいいよね。
(リスが笑ったらこういう顔なんだろうな)って、いつも思ってました。
スペインの森でどんぐり拾ってる写真、待ってるね。
いってらっしゃい!

あー今日もまたすごく嬉しい。ひとつ前のブログは全米配信がスタートしたiPhoneのゲームアプリケーションのこと。今日はいまソニーさんとコラボ中の今泉圭姫子のアルバム「THE BOYS」の、次のエルラブのコラボ企画、映画「ニューヨーク・バーグドルフ〜魔法のデパート〜」の公式ホームページのこと。

思わず「きゃー♥」と言ってしまいました。だって私たちのお店のバナーがどーんだったんですよ・・・涙。大好きな世界に参加できた感じ。本当に嬉しいです。11/16・17にコラボのフィナーレとして開催予定のアフタヌーンティとハイティパーティにも、今日早速後輩が予約をくれて・・・ブレずに歩んで来てよかった!そんな気持ちです。これからも大好きな世界を素直に静かに大事にしていきます。

Memories Can’t Wait

あーもう、ほんとに嬉しい。「Memories Can’t Wait」完成!全米リリースである。※全米だけじゃなく、アラブ首長国連邦、サウジアラビア、中国、韓国、ブラジル、日本「以外のapp store」で配信中。でも私は「全米」って言葉を使いたい!

あーもう何回でも言っちゃう!ほんとに嬉しい。素敵な作品だ。簡単に言ってしまえば疑似恋愛ゲーム。でも、こんなクオリティのものはかつてない。「パイオニアになるんだからー!」「だって仕事が好きだからー!」と言いながら、寝ないで(ほんとにー涙)頑張りましたね、キャンディさん!※絆

担当のHORIMAYAさん、最後の最後までお疲れさまでした。出世作になりますよ。絶対!

最初にお電話をくださった TANAKAさん、ほんとにありがとうございました。

そして信頼できるファミリーなスタッフとマイカンパニーズ。無理を聞いてくれてありがとう!涙

久々にクリエイティヴな作品。自分のディレクションが、こんなに好きなんて・・・ごめんなさい!!笑

下に貼ったのはPVなのですが、海外のApple IDをお持ちの方はぜひ、体験版(プロローグ・無料)だけでも、ダウンロードしてみてください。体験版とは何が必要なのか?本気で考えて構成しました。

私も週末、ニューヨークの滞在先からDLします。ものすごーーーく楽しみです!




写真の中央のオーナメントはリンダ・ファーゴ。私の大好きなニューヨークのデパートバーグドルフ・グッドマンのCDです。2〜3年前に買いました。もちろんバーグドルフで!

バーグドルフと言えば、ゴシップガールのブレア・ウォルドーフやSATCのキャリーの見回りコース。靴売り場は「サロン」と呼ばれているほどのファッション・セントラルパーク。

覗いてみたいその内側や名だたるデザイナーの言葉にあふれたすっごく面白いドキュメンタリー映画「ニューヨーク・バーグドルフ〜魔法のデパート〜」は今月26日から公開です(アナ・ウインターに間違われるリンダ・ファーゴのお話とか微笑んじゃいますYO!)。

そしてなんと私のレストランL.Loves R.は、この映画とコラボレーション!(嬉しい〜♥)公開日から約3週間、特別メニューなどでおもてなしさせていただきます。11月16・17日には、グッドマンカフェのメニューを再現したアフタヌーン&ハイティーパーティも企画しています(もう予約して♥)。

皆さんの期待を裏切らないよう、来週末は現地取材です。憧れのリンダ・ファーゴと佐藤りんだの、リンダリンダショットは実現するのか?乞うご期待!


<これまでのお話>5年間一緒に暮らした恋人が7月に九州の実家に戻った。迷いの中にいたのだろう、そのひと月前には、心中明らかにせずサンフランシスコにひと月・・・それは私の誕生日月でもあった。私の大好きなアイスクリームで冷凍庫を一杯にして、彼は生まれた街へ帰っていった。私は新しく始めた事業(レストラン)に集中すべきとの判断で日々を過ごし、幸いにもそれほど彼不在の日々に落ち込んでもいなかった・・・。



その女性は花音(カノン)さん。クリエイターとしての私の仕事を陰ながら見てくれていた。会うのは今日が初めて。Twitterから「この人(私)の綴る言葉が好きだ」とつぶやいてくれた。感謝を込めて私もフォローさせてもらったのはいつだったか・・・。そんな花音さんが上京ついでに私のレストランに来てくださるとTwitter経由で連絡をくれた。

「お返事いただけるとは思いませんでした」
花音さんは店の一番奥のソファでダッチベイビーを食べながら、「私と今会っていることが現実的ではない」と大層喜んでくれた。録音したばかりのCD(花音さんはピアニストで作曲家)と「うちのほうでは有名な」お菓子をいただいた。
「どちらにお泊りなんですか?」
私は聞いた。
「横浜です。彼のところです」
日本が島国であることを思う。私や花音さんの彼の住むこの島と、花音さんの住む島の間には海がある。
「遠距離恋愛、ということですか?」
「はい」
花音さんはくるんとした瞳に笑みを湛えていた。そしてこう続けた。
「私もかつては東京にいたんですが、今いる街が好きなんです」

冷凍庫のアイスクリームもなくなって、思えばもう夏も終わる。「車を買ったから、こっちに来てみないか?案内するよ」と彼が電話で言ってきたのは、花音さんがこちらに来るとメッセージをくれた一週間ほど前だった。彼と私の(毎日ではないが)電話とメールの内容はと言えば、息子の芝居の出来映えや評判、店の様子、私の健康状態、等々。それは出張先のお父さんのようなもの。会う、会わない、会いたい、というような話はほとんどしない。が、私が自信喪失しかけて泣きつけば、私は私を信じていい、と励ましてくれる。いまの関係が恋人のままなのか、もう違うのか、私にはわからないし、それを彼に聞いたところで、意味もない。私たちがお互いを思う時の感情を、お互いになんと呼ぶかでしかないのだから。

(彼に会う?)とても会いたいがとても迷っていた。休みはとった。後は本当に行くかどうかだ。
「私もかつては東京にいたんですが、いまいる街が好きです」=「君とはいたい。でもここにはもういられないんだ」
花音さんの言葉と彼の言葉が心の中でかさなっていく。
「淋しくはないですか?」=「淋しくはないの?私は淋しい」
なぜかと言えば、花音さんの住む街は、彼と同じ島の同じ県。
「彼も音楽を創っているので・・・。一緒です」=「君はひとりじゃないよ」
彼に会いにいくか迷う私の元に、突然現れた花音さん。

神のメッセージは時にこうして人によって届く。鈍感な者の恋心など、文字にはできるが言葉ですらない。あえてそうあろうとした私に、花音さんの創った曲が目覚めよと語る。ぐるぐると私の周りで踊る小さな妖精。花音さんのように前髪を可愛く揃え、小さな身体全部ではしゃぎながら私にぶつかってくる。運命は不思議で音楽は凄い。花音さんと花音さんの曲。

「(今回東京には)新幹線できましたよ」

帰りの飛行機がとれないと、理由をつけて留まろうともした。目一杯頑張ってくれてるスタッフの手前、休みは取れない、と自分に言い訳もしてみた。でもやっぱり行ってみよう。私が生まれた街を彼が見たいと言ってくれた日、とても嬉しかったから。



 


 

屋上に散らばった自作の小道具を片付ける映画部の少年は、父親譲りの八ミリカメラで映像を撮る。「映画監督は無理」「じゃなんでこんな汚いカメラで撮るの?」「うーん・・・僕らの好きな映画とどこかで繋がってる気が、ほんのちょっとね、するときがあるから」

親友であるはずの桐島に繋がらない電話。取り出してプッシュすればいつだってその向こうにあるはずの友達の存在。ポケットの中に簡単に収まるユニヴァース。たとえ友達が出なくても、友達のいる世界にいま自分は繋がっている。

生まれてきたとき、誰がわたしを見ていたのか覚えていないように、死んだ先もまた、誰が自分を見ているのかわからない。胎児と電話で話せないように、天国とも電話では話せない。おんなじ?いや違う。確実に違わない?胎児には会えるけど、天国の母には会えない。いや、同じだ。母と暮らした。母に会った。母が私に会った。

そう。桐島はクラスにいた。桐島は自分を知っていた。桐島と自分は繋がっていた。

たった今がどんどん過去になる。過去も未来も天の父から見たら、オムニバスのドラマだ。確実な繋がりなどない。「どこかで繋がっている気が、ほんのちょっとする時がある」だけだ。過去と現在と未来とが「ほんのちょっと」繋がっている。そんな気が「ちょっと」する。それだけのことだ。それだけだからこそ、その先にあるはずなのに見えなくなる宇宙が切なく愛おしい。

そんなことを思った。いい映画だった。

春陽漁介率いる、プロデュースユニット四方八方(ふぉーほーやっほー)久々に公演中である。劇団5454(ランドリー)第2回公演「ト音」で動員数1000を越えた実績が良きプレッシャーとなっての今回、さらさらと渓谷を流れる湧き水のような作品となっている。

舞台は都心から少し離れた町(村?)古民家。彼氏にふられ上司に怒られの、てんでダメな女性編集者が迷いこんだそこは、妖怪達の集会所であった。人間の持つ(持っているらしい)様々な感情を、ダメ記者のしどろもどろなアドバイスで体得していく妖怪達。そこには私たちが日々の中で(おそらく)最も克服したい「恐怖」という感情の(そのものである妖怪ですら、いや、そのものだからこそわからない)答えがある。

恐怖とは何か?

前半だけではあたかもそれがテーマかのように思うだろう。が、もちろん違う。その答えは最も感情的でない役どころの妖怪が、中盤でさらりと言葉にしてしまう。つまりこれはどういうことか?

古畑任三郎や刑事コロンボが、推理ドラマ体裁でありながら最初に犯人を明示してしまうのと同様、うまい書き手があっさりとテーマを手渡すわけがない。とても繊細に最も丁寧に積み上げてくる(作品の好き嫌いは別の話)。古畑やコロンボにおいてのテーマが犯人がなぜ犯人となったのか?または、ならざるを得なかったか?の中に語られるように、「Interview with dark」のテーマは「恐怖とは何か?」ではなく、別の何かである、ということだ。わかりやすいセリフに騙されてはいけない。言葉で感情を表現し過ぎることを、誰よりも嫌う作家であることを名言しておく。これからご鑑賞の方々は、お金の無駄にならぬよう、湧き水のように心にあふれてくるものをすべて!!!  飲み干してみてほしい。残り4回お見逃しなく。



 

 

日曜学校

教会の日曜学校に行っていたのは、子どもの頃ではなくて息子がおなかにいる時だった。当時はフリーランスのコピーライター&会社員の夫あり、だったので、妊娠発覚と同時にここぞとばかりに休業。時間がたっぷりできたので、さぼってばかりいた教会への奉仕を復活させたのだ。

息子を腕でなく、体内で抱いていたあの頃。私は内も外もどんどん変わっていった。「妊娠」「母親になる」がイメージだけだった頃は、子供を持つなど畏れ多くて、私などに務まるはずもないと思っていたが、いざそうなってみるとほんとに嬉しくて「怖い」という気持ちよりも幸福感が勝り、(ママになったんだ、ママになれるんだ)とひとり心でつぶやきながら、産婦人科から実家への道をニヤニヤしながら運転して帰った。

日曜学校は礼拝前の一時間くらいで、集まった近所の子どもたちと賛美歌を歌ったり、イエス様の絵本を読み聞かせたりする。先生は薫さん。ひとつ年下で、K病院で当時最先端の不妊治療に携わっていた。薫さんは礼拝のピアニストでもあったので、忙しくて来れない時は私がなんとか代役を務めさせてもらったりした。

子どもは授かりものだから、授かった者がいなくなるのは痛いほど悲しい。でも、授からないのも人生。愛する人と出会えて、仲良く人生をおくれたなら、それだけもういいよね、とか、治療に訪れる人の想いの尊さを神はご存知だと思う、体外受精は決して冒涜ではないよね、とか、いろんな事を当時の薫さんと話した。

写真は薫さんのお手伝いをしていたあの頃の教会の前。おなかの中にはのち、漁介(英語の名前はPeterピーター=漁師ペテロ。本日プロデュース公演初日)と名付けられる赤ん坊がいる。堂々と仕事を休め、賛美や奉仕ができて、日々心安らかな私、嬉しそう。妊婦服はほとんどおねえさんのお下がりだったが、これは欲しくて自分で買ったもの。


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そんな想い出を胸に、9月から「エルラブ子ども会」を始めます。毎月一回、子どもたちだけでなく、昔子どもだった私たちにとっても心ゆたかな良い時間になるのではないかと思います。まずは9月1日午前10時〜12時。「給食」ということで、お料理は懐かしのソフトめん風付けパスタ(ダンキン・パスタという秋からの新メニュー)とミルメーク(牛乳にまぜてコーヒー牛乳をつくるあれ!)と、ぶるん!と揺れる(予定)のゼリーです。7歳以上のかたは一名様でも参加できます♥

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