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イヴ・サンローラン

いきつけの映画館での最終日に間に合った「イヴ・サンローラン」。公私共にイヴのパートナーであったピエールがふたりで所有していたアートを競売に出すという流れとともに、イヴの人生をドキュメントするが、始まりと終わりを決めずに部屋の写真やインタビュウ、ドレスやアートらを所々ふっとつまんで、そっと置いて見せるその感覚が全編美しく興味深かった。

もしイヴが残り自分が逝ってしまったなら「イヴはアートを手放さなかっただろう」とピエールは語る。たくさんの価値あるアートたちはふたりの子供のごとき存在であろう。例えばイヴが道の途中で見つけた対の壺を、ふたりで改めて買いに出かける。ただそれだけのシンプルなエピソードでさえ、語るピエールの表情は我が子を愛でる親のそれと違わぬ陽光にあふれるのであった。

どんどんと高値で嫁にいくアートたちをクリスティーズの個室からモニターで眺めるピエール。心に収まるだけのイヴを抱いて生きるのだろう。思い出が天に召され、アートが純粋にアートとして次の人生を歩むことを望む姿がたくましい。

そうもし、イヴが後に残されたなら、たくさんのアートを自分の屍と共に孤独にさせるだけのこと。アートたちの生きてゆく姿を見る事もできなかっただろう。その孤独こそがイヴそのものだと、ピエールは知っている。

マラケシュの別荘をカメラが映す時、私にあふれた涙は、もういないイヴを探すピエールの視線とかぶったゆえかもしれない。映像は最後に突然ふいにリビングのソファに座るイヴの写真で終わる。キミはここにいたね、今もいるの?いやいないよね、そんな想いが庭の水と共にトクトクと流れる画と水の音。素直になりたい、とインタビュウで答えるイヴに「いまでも充分素直ではないですか?」と返すインタビュア。そういうことではなくて、と続けるイヴ。あきれたやつだ、何もわかってない、という不良応対もせず、温厚にイヴは語った。「何もしないでいたい。バカなことをしたい。いまから?それはできない。ファッションという籠の鳥だもの。僕は」。ピエールがいなかったら、ただの鳥として大空を巡り、誰かに打たれて羽を傷めるだけの人生ではなかったか?イヴのデザインしたモンドリアンのドレスを見た瞬間「その見事さに震えた」とピエール。愛や恋を語ることが億劫になった私への、警告のような映画であった。確かに愛した、というその自覚があれば、共に生きることがすべてではないだろう。人はやがて天に召される。我が子も人であればのち、確実に。がしかし、イヴとピエールの子供たちは永久に生きる。アートもドレスも、そして二人の物語も。対になった神のギフト。それは私たちのファッションの中に今日も生きる。

 

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