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Sunrise

早起きしたおかげで、昇ってくる太陽を眺めることができた。日本はまだ眠っている。昨年もこの頃、日本を留守にしていた。いつだってあちらこちらにお出かけなんでしょう?と言われがちだが、そうではない。なんとなくこの頃いないというだけだ。

いつ何がおきても、運命(さだめ)として生きて、そして逝けるよう、愛するものたちと穏やかに愛し合っていこうと思い直す。それはなんの努力もなしに、ということではない。話すことも、黙ることも、とても大切だ、と感じた一年であった。人同士、厳しくなくていい。強くあるべきは、信頼と絆であるのだ、と。

これから新しい命を授かる人たちには特に、現在の日本はとても不安だろう。けれど、歴史の中いつだってたくさんの重い荷物があった。個人的にそうである人だっている。ひとりでは運べないものは、みんなで運ぼう。そう思っている人は、すごく増えた。素晴らしいことだ。それは当たり前なんかじゃないと強く思う。陽が昇ることさえも、今の私には当たり前なんかじゃなくて、家族や友だちがいてくれることも当たり前じゃなくて、嬉し涙が足りなくなるくらいの奇跡みたいに、今ここで思っている。



友人のひとりは、かつてダイヤモンドを買うたび私に言った。「これはね、私の涙ー!ガハハ!(ワハハ!よりももっと豪快なもの)」と笑いながら。彼女のダイヤモンドはとても大きく、みなきれいだった。それが彼女の涙の固まりであるのだと言われれば、うらやましいより、実力で涙をダイヤに変えたカッコいい女と尊敬したし、彼女の耳や胸元のダイヤモンドが一層素敵に思えた。そして私の48才の誕生日。彼女は「50歳おめでとう!」のメッセージと共に、私にとても大きなダイヤモンドのピアスをくれた。「どうせあげるなら早いほうがいいから!ガハハ!」と笑って。私の人生に付き合い、私の半世紀分の涙を集めて、とびきり美しい高価な宝石に変えてくれた人。それは私を洗礼へと導いた旧約聖書の言葉のままであったと、なぜか突然、この旅で気づく。やはりこの島は噂どおりだ。

彼女がくれたものにはおよびもつかないが、昨日、ダイヤモンドのピアスを買った。嬉しいことがあると、すぐに泣いてしまうから、先に涙にしておけばよい、というナイスアイデア。無駄使いではない。微笑

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