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車をぶつけた。でも、昨日直ってきた。保険使ったんで出費なし。差し入れ買って、おつりを忘れた。でも、戻ってきた(ひとつ前ブログ参照)。鍵をなくした。どこにもない・・・。

実に注意力散漫な日々を送っている。何故かと言えば、いま劇団5454が旗揚げ公演中だからだ。あれやこれやと気にかかる。「りんだって、あれこれやってて凄い!」という巷の評価がいかに的をとらえていないかを物語っている。お恥ずかしい限りだ。

そう。いろんな事は確かにやってる。だがその実、怠け者だ。だからこそ、自分がリスクを負って会社を創る。

「そういう事って、わかんない。儲けたいから会社創るんじゃないの?自分ばっかりお金出して、ソンしたらどうすんの?」。そりゃそうだ。会社の社長なんて、逆ピラミッドの一番下。両手広げて上を支えているだけ。足腰疲れる?そうかも。じゃ、なんで会社やんの?

「なんで?え?楽しいから。え?それに理由いる?楽しいとこにいたいの。おしゃべりが好きなの」

「ランドリーシンドローム」で水無月が言う。そう、そんな感じもある。会社はひとりじゃできない。お金で買えない人たちがそこにいる。人は買えないが和(環)は創れる、お金があれば。環の中で、みんなが暮らせる。家族で仲良く。

奇しくも(なのか?)「ランドリーシンドローム」の光介は現在の私のパートナーと酷似している。家事をやらない、といつも私に文句を言われ、最近やるようになった。しかし、とんでもない干し方。

「あれじゃ、まるで仕掛けですよ。おなかを空かせたトラが来ますよ」(光介の同棲相手、果歩のセリフ。「ランドリーシンドローム」より)

爆笑。春謡漁介(以下、春漁)うまい。

「果歩って小さい頃からしっかりしてて、だからちょっとわがままで、長くつきあってくれる人がいないのね」(果歩の姉、咲子)

え?私のこと?w

「高島さん。少し感謝したほうがいいよ」(ボシ)

ほんとだよねー。ごめんなさい!

そんな「あるある」が、この芝居にはある。



人に心を閉ざすことなど朝飯前の私が「それじゃいかん!」と生きてこられたのは、人を怖がらず、何があっても己を不幸と言わない、わが息子の存在があったからだ。息子は幼い頃から独特の言葉で私を幸せへと導いてくれた。

「パパ(と言って、パパを見る)。楽しもう(と促す)」
「ママ(と言って、私を見る)。楽しもう(とう促す)」

ご馳走を前に、箸もつけずつまらない諍(いさか)いをする私と夫。黙ってお料理を食べていた息子が何かを決心し、選んだ行動と言葉。

「あ・・・ごめんね、漁ちゃん」と、先に謝るのはいつだって夫だった。(いい役とりやがって・・・)先を越された私は常に夫にそう思うのだが、口喧嘩で夫に勝ったところで、目を見て訴える息子には勝てない。

「そうだね、楽しもう!ごめんね・・・漁ちゃん」。

「美味しいね?パパ。美味しいね?ママ」

笑顔になる。

**

そんな息子25歳。劇団5454旗揚げ。私の注意力、すべて中野HOPEへ。

「『ランドリーシンドローム』は、人と人との関係性のことだから。それを書くから」と言っていた。最初は何を言ってるんだろう?と思った。「つまりそこ、イコールだから。人と人との関係性が『ランドリーシンドローム』だから」。さっぱりわからなかった。「洗濯機が回ることが関係性?」「いや違う、それに夢中になること」「依存のメタファってこと?」「そういう抽象的なことじゃない」。

プレビューを入れて10回観た。光介と果歩、果歩と咲子、咲子と宏明、宏明と果歩、後輩と光介、光介と宏明。会社と自分。恋人と自分。家族と自分。対する者が異なれば、自分のあるべき姿が変わっていく。関係性の中にしか存在しない自分。最も稀少で大切な自分はどこにいる?10回観た。「あるある!」と思いながら、あっと言う間の95分。春漁の声が聞こえる。

「アイデンティティは関係性で変化するものだ、それはシンドロームなんだ」



「ランドリーシンドローム」
いよいよ後4回。今日は完売なので、後3回。

ヤッホー時代はファンタジーを書いてきた男である。「頭の中が花畑野郎」と、同級生に言われたと己を嘲笑していたこともある。ヤッホーからランドリーになって、メッセージが変わったようだ。

「おとぎ話の中に自分がいる?
夢はおとぎ話の中だけにあるわけじゃなくない?」

たぶん、こんな感じに。

 

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