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中村勘三郎さん逝く

 

 


 


 

写真は、昨年11月。勘太郎さんが六代目勘九郎を襲名なさってのお練り@浅草寺である。勘太郎丈ファンの私が、早起きして風神前に陣取り、この記念すべき儀式を感無量で見つめたことは、過去ブログにも書いた。

一枚目の写真、勘三郎さんから三歩下がって立っていらっしゃるのは、中村屋最高齢(92歳)の小山三(こさんざ)さん。まさか勘三郎さんが小山三さんより先に逝くなんてこと、この日の私は(きっと小山三さんだって!)は想像もしなかった。

でも、逝ってしまった。涙

2月の新橋演舞場。勘九郎さん襲名記念公演。ずらりと並んだ一門各々からの愛とユーモアにあふれた口上。師として、親として、勘三郎さんは今とてもほっとしてらっしゃるだろう、そして同じくらい心配でもあるに違いない、と熱い想いがあふれた。おそらく勘三郎さん自身もこの襲名を機に、日本文化継承の良き流れの先鋒として様々な決心もなさったことであろう。勘三郎さんを長として、一門揃っての儀式は先に書いたお練りから、この襲名披露の舞台が最後になった。まだまだこれからいろいろ観られると思って、ここのところ観劇をさぼっていたことが悔やまれる。

数年前、癌の手術後の勘三郎さんが、若手歌舞伎役者が毎年正月に行っている浅草公会堂の新春歌舞伎に出演する勘太郎(当時)さんの稽古場を訪れるシーンがあった。体調万全でない中、適切なアドバイスをする勘三郎さん。そんな師であり父への感謝を身体で表現していく勘太郎さん。先代の芸を受け継ぎ伝統を守る事と自分らしく生きる事は、相反するかのようで違わず、何をするにも学ぶべきは倫理なのだと私は学んだ。値すべきものとしての価値を自分に課すことは、孤独だが崇高であり、自覚ある者の前にしか現れない山が現れてしまったら登るしかない。きっと今、勘三郎さんはその山から天に登っている。

 


過去、親子三人での連獅子は実に素晴らしいものであった。自分で突き落としておきながら心配そうに谷を覗く親獅子の勘三郎さん。花道は谷底という設定。息を整える勘九郎(当時は勘太郎)さんと七之助さん。勘九郎さんの肩は微動だにしない。が、首筋にはどんどん汗が流れていく。その後ろ姿は神々しく、私はドブ(花道の後ろ側)から瞬きさえ惜しいほど見上げた。今日のこの喪失の哀しみは、やがてそんな勘九郎さんを筆頭とした次世代がうめてくれるだろう。新歌舞伎座(東京)のこけら落としには大向うさんの声に混じって、勘三郎さんの声が聞こえるはず。今はそれを楽しみにしている。

 


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