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謹賀新年2013

松も取れたってのに、いまさら新春のご挨拶とはこのブログもとことん怠けたもの。がしかし、現実はそんなに怠けてもいないんですよ。大晦日から2日までは、ご挨拶に来てくださるお客様や家族といい時間を過ごしました。3日からは毎日ちゃんと走ったり・歩いたり・泳いだり、してます。4日の仕事始めにはみんな揃って今年の豊富を語りました。

へび年だからか、計画はにょろにょろと蛇行中です。が、なんとかなるでしょう。毎日の運動が明るい気分にさせてくれます(運動不足は自律神経を不安定にさせるらしいですね)。状況変化毎に公私ファミリーの素晴らしさを思い知り、大事なものは常に「思うより前からここに有った」と深く思います。感謝です。

2012年の始めには年の言葉として「信頼」を選びました。昨年はそう、大事な人たちひとりひとりが「見事な」人生の転換期を迎えたように思います。プリンセスが母となり、プリンスは作家になり、我が息子は劇団を旗揚げ、兄は母の別荘に引っ越し、パートナーは転職。そして私はふたつめの会社を創りました。「信頼」は深く重いキーワードでしたが、心の奥でしっかりと私を支えてくれたと思います。

年末は高熱に倒れ、会社の納会を欠席するという残念な結果でしたので、今年は健康管理をしっかりやろうと心に誓った矢先、年明け早々に専門学校時代の同級生が心筋梗塞で逝きました。彼女と私は、息子が幼稚園くらいのころから会っていませんでした。最後に電話で話したのは2年か、3年前だと思います。「会いたいねぇ、会おうよー」と話しているだけでは、こういうことにもなってしまうんですね。この機会に、と当時の友人に連絡をとり、さっそく週末に会う約束をしました。逝ってしまった彼女が幼いうちの息子と遊んでくれた姿や、「ともちゃーん!」と私を呼ぶ声はとてもリアルで、この地球のどこまで歩いても、もう彼女に会えないんだと思うと淋しくてたまりません。せめて生きている友人と彼女の想い出を語り、ひととき彼女がいた頃にタイムスリップできたらいいなと思っています。

ところで、私のパートナーは「キミが死んで悲しむのは家族だけだ」と、細いツララを吹き矢にしたような言葉を(高額治療をお任せしている)歯科医師に言われたそうです。そんな腹の立つ話を満面の笑みで報告してくれる彼は、春の野原のキリン草のようです。どこから来るのかわからない風に身を任せる背高のっぽの黄色い花。「そんな事は絶対ないよ」と私は真顔で答えました。彼が逝くと想像するだけで、私は涙が出てくるし、野原のキリン草を見てはまた泣いてしまうでしょう。人が逝って抱く喪失感は生きている者同士で乗り越えなければなりません。いつまでたっても馴れはしないそのくり返しと共に、人は今日から明日へと歩むのならば、出会ってそして共に生きる人たちとの関わり合いこそが人生。毎日がとても大切すぎて、時折どうしていいのかわからないほどです。

そんな友人のひとりと昨日、映画「レ・ミゼラブル」を観ました。ラストシーン、大きな砦の上でフランスの国旗を風になびかせながら、召された者たちの力に満ちた声が「明日がある!」と歌います。そうです。今日だけでなく明日があります。思うようにいかなくても、たとえ私が死んでも、明日はくる。風をうけてはためく旗はいいですね。今年はあんなふうにおおらかに、風に身をまかせていたいです。コクリコ坂の、駅伝の、フランス革命の。孤高であっても気持ちよく、この場所で風を受け、大空を背景に堂々なびいていきたいです。

今年もよろしくお願いいたします。

佐藤りんだ知代

 

 

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